福岡高等裁判所 昭和55年(ラ)20号 決定
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【判旨】
二ところで、本件破産申立事件は抗告人が主宰したとされる後記各講についての債権債務の存否及びその帰属が争点となつているので、まず抗告人と講との関係を概観するに、一件記録によれば、次のような事実が認められる。
1 抗告人内村健一(本件では破産者の表示についても争いがあるので、内村健一個人を示す場合は単に「内村」と記載する。)は、昭和四二年三月、熊本県上益城郡甲佐町の当時の自宅に事務所を置き、第一相互経済研究所(以下「第一相研」と略記することもある。)の名称のもとに、実兄内村武雄ら親戚、知己を初代親会員として無限連鎖式講、いわゆる「ネズミ講」である「親しき友の会」の事業を発足させた。右講は会員となろうとする者が、第一相研の指定する先順位会員に一〇〇〇円(贈与金ともいう。)、第一相研に光し一〇八〇円(入会金)を送金することによつて会に加入し、各加入者がそれぞれ新規加入者を四名あて勧誘して行くことによつて、五代後の会員一〇二四名から一〇〇〇円あて合計一〇二万四〇〇〇円の送金を受け完結するという仕組であつた。
内村は右講の加入者が、発足の三月は二一名、四月は一五六名、五月は一〇〇六名、六月は四八八二名、七月は一万〇一四四名と急速に増加してきたので、同年七月「第一相互経済研究所親しき友の会」代表者内村健一名義で合資会社福田商店と売買契約を締結して、同会社所有の熊本市本山町六三五番地の宅地及び右地上の四階建ビル(通称福田ビル)を買受け、昭和四四年二月には第一相研の事務所及び自宅を同ビルに移転し、同所で右講を主宰するようになつた。
2 しかし、右「親しき友の会」は当初かなりの加入者の増加がみられたが、この仕組では入会後目標額を取得するまで相当の期間を要し、元金も少額であるうえ新規加入者の勧誘にも苦労するところから、会員中には元金の回収ができなくなつても後輩会員の獲得に熱意を示さない者が増加し、昭和四三年初め頃をピークに加入者は減少するようになつた。その結果、第一相研の事業収入も次第に減少したところに、前記不動産の購入費用がかさみ、事業の経営に苦慮するようになつた内村は、右苦境を打開すべく、講の方式をより魅力あるものにするよう工夫をこらし、昭和四四年六月には「相互経済協力会」、同年一二月には「交通安全マイハウス友の会」(単に「マイハウス友の会」ともいう。)、昭和四五年一二月には「中小企業相互経済協力会」なるネズミ講を次々に考案し、実施した。
これらの各講は、加入時に先輩会員に送金すべき金額(贈与金)をそれぞれ三万円、八万円、五〇万円に、第一相研への入会金をそれぞれ一万円、二万円、一〇万円に増額し、それにともなつて後輩会員から受取るべき目標額もそれぞれ一〇二万円、五二八万円、三三〇〇万円と増額したが、同時に各々が獲得すべき新規加入者を二名にしての負担の軽減を図り、しかも右目標額の一部を二代後輩の会員から受取る(したがつて孫取金ともいう。)ことにして短期間に元金が回収できるようにしたうえ、会員への特典として、いずれも入会後一年間を限つて、交通事故その他による被害につき保険金ないし見舞金の支給を受け、また、第一相研が運営する研修保養所を無料で利用し得るものとした。
3 このような各講の考案実施により、会員の数は飛躍的に増加し、昭和四六年五月末頃にはその加入者は、「親しき友の会」が約一七万名、「相互経済協力会」が約三七万名、「マイハウス友の会」が約一五万名、「中小企業相互経済協力会」が約七万二〇〇〇名に達し、この間第一相研に送金された入会金の総額は一〇〇億円をこえるに至つた。
この入会金は、内村自身及び第一相研の職員らの給与、各会の運営管理事務費、前記福田ビルの購入費、会員の事故等による被害に対する見舞金の支払などにあてられたほか、この入会金により、昭和四五年七月に玉名保養所を購入したのをはじめとして、全国各地(昭和五二年末には二〇か所)に研修保養所を設置して運営し、昭和四六年六月には右福田ビルと同一敷地内に地上八階建の「第一相研ビル」を新築完成して、第一相研の事務所及び内村の自宅をこれに移し、更には小型飛行機や高級乗用車の購入、社会福祉施設への寄付などがなされていた。
4 ところで内村は、かねてより第一相研の法人化を考えており、昭和四五年一二月には一応その「主旨」及び「綱領」を成文化したが、その内容は「友愛と信頼、親和の基礎に立つ真実の福祉社会を実現させるため、相互が救け合い共済する親和の精神による会を創る」とするものであり、第一相研は右主旨に賛同する親和の友の集りで組織され、入会金によつて運営されること、創始者内村をもつて終身代表責任者とし、組織運営責任者は所長(会長)一名、常務六名、計七名とする旨規定するにとどまり、極めて不十分なものであつた。
そこで、第一相研を更に組織的に整備したものとするため、昭和四六年六月一五日に全国から会員中の有志を集め新築ビルの落成式を行う機会に、定款の起草委員を選出するなどして、定款作成の準備を進めようと計画していたところ、右落成式前の同年六月五日、国税局から査察を受け、財産を差押えられる事態になつたため、その計画は一頓挫した。
しかし、昭和四七年に入ると、各地の会員との交流の間に起草委員も定まり、内村を中心に検討が重ねられて同年五月一一日には別紙(二)記載のとおりの定款が作成され、同月二〇日、全国の会員の有志を集めたいわゆる会員総会においてこれが承認を受け、右定款により終身理事であり会長となるとされた内村のほか、理事・監事等の役員も選任され、名称も「天下一家の会・第一相互経済研究所」(以下「天下一家の会・第一相研」と略記することもある。)と改められた。
5 その間、内村は昭和四七年二月一六日所得税法違反の疑いで熊本地方検察庁により逮捕され、同年三月七日同法違反罪で熊本地方裁判所に起訴され(その後昭和五三年一一月八日同裁判所において、懲役三年及び罰金七億円、ただし懲役刑は三年間執行猶予の判決の言渡を受け、現に控訴中である。)、また、一部会員らの告訴に基づき、同地方検察庁により詐欺の疑いで捜査を受けた。
6 しかしその後も、昭和四七年九月には「花の輪Aコース」「花の輪Bコース」「花の輪Cコース」(加入時に先輩会員に送金すべき金額はそれぞれ三万円、八万円、二五万円、天下一家の会・第一相研への入会金はそれぞれ一万円、二万円、五万円で、後輩会員から受取るべき目標額はそれぞれ三〇万円、八〇万円、二五〇万円と従前の「相互経済協力会」等に比し減額したが、完済を受ける会員の順位を繰り上げ、目標額達成の時期を早めたもの)、昭和四九年九月には「洗心協力会」(加入時の先輩会員への送金二五万円、天下一家の会・第一相研への送金五万円で、目標額達成の時期を再び従前の程度に戻し、後輩会員から受取るべき目標額を一六五〇万円としたもの)の各ネズミ講が順次考案され、実施されていたが、昭和五四年五月一一日「無限連鎖講の防止に関する法律」の施行により、前記各講はすべてその活動を停止するに至つた。
昭和四二年三月二〇日発足以来昭和五四年一月までの本件各講の年別加入口数は別紙(三)のとおりである。
7 なお前記定款の作成後、天下一家の会・第一相研は、ほぼ定期的に理事会や会員総会を開催し、事業報告書あるいは事業概要としてその事業内容、収支関係(前記国税局による査察後の昭和四六年七月一日以降昭和五四年三月三一日まで)を公表してきたが、本件各講による入会金の収入状況は次のとおりである(ただし、昭和四九年四月以降は財団法人天下一家の会及び宗教法人大観宮への寄付分として二五パーセントを控除した残額である。)。
(昭和四六年七月から昭和四七年三月まで)
一億〇〇七五万五四〇〇円
(昭和四七年四月から昭和四八年三月まで)
三億六〇五八万二一六〇円
(昭和四八年四月から昭和四九年三月まで)
八億三九八七万〇〇〇〇円
(昭和四九年四月から昭和五〇年三月まで)
三六億〇六四二万〇〇〇〇円
(昭和五〇年四月から昭和五一年三月まで)
九八億二五〇〇万〇八一〇円
(昭和五一年四月から昭和五二年三月まで)
一〇九億八〇〇三万七二六〇円
(昭和五二年四月から昭和五三年三月まで)
二六億四九〇四万〇五〇〇円
(昭和五三年四月から昭和五四年三月まで)
一七億〇七二九万〇八五〇円
8 このような入会金等の収入につき、熊本国税局は天下一家の会・第一相互経済研究所(代表者内村健一)を権利能力なき社団として、昭和五一年三月一一日、法人税額等の更正通知書により昭和四七年度分(同年五月二〇日から翌四八年三月三一日まで)の法人税二五〇一万七二〇〇円(以下いずれも本税のみ)を賦課したのをはじめに、昭和四八年度分(以下いずれも同年四月一日から翌年三月三一日まで)として一億五〇二二万三二〇〇円、昭和四九年度分として一一億七四三八万一二〇〇円、昭和五〇年度分として三六億四九六五万二八〇〇円、昭和五一年度分として三四億五九九九万八〇〇〇円の各法人税を賦課し、また、前記定款において昭和四七年五月二〇日当時、内村の所有名義であつた第一相研事務所のビル、玉名など八か所の保養所、その他の動産・不動産を、天下一家の会・第一相研の基本財産として掲げたことにつき、同国税局は天下一家の会・第一相互経済研究所に対し内村から右財産の贈与があつたものとして、やはり昭和五一年三月一一日、昭和四七年分贈与税決定通知書により一一億二〇〇八万一九〇〇円の賦課を行つている。
9 なお内村は、昭和二二年七月に設立されたまま休眠状態にあつた財団法人肥後厚生会を、天下一家の会・第一相研が社会福祉事業を行うための組織として活用することを考え、昭和四八年三月自らその役員に就任するとともに、同年五月までにその名称を「財団法人天下一家の会」と改め、事務所の所在地も前記第一相研ビルに移して、その旨の変更登記を経由したうえ、まず運営基金としてこれに一億円を寄付し、翌昭和四九年四月以降は前記各講(ただし「洗心協力会」を除く)の加入時に会員から送金される入会金のうち、二五パーセントを同法人への寄付金として、その運営にあたつていた。しかし、右変更登記は昭和五二年一二月一〇日、熊本地方法務局によつて職権抹消されたため現在は財団法人肥後厚生会の旧名称に復している。
10 更に内村は、昭和四八年一一月、大宇宙大和神・天御中主大神など五柱の神を主神として大観宮の教義をひろめ、儀式行事を行ない、信者を教化育成することを目的として、社務所を熊本県阿蘇郡阿蘇町小里六一〇番地に、事務所をやはり第一相研ビルに置き、自らその代表役員となつて「宗教法人大観宮」を設立した。大観宮はその後昭和四九年九月発足の講「洗心協力会」の入会金のうち二五パーセントを同法人への寄付金として、これにより運営されていたが、昭和五二年九月八日開催の天下一家の会・第一相研の臨時会員総会において、当時登記簿上は内村個人の所有名義であつたその基本財産を、登記簿上権利者たり得る「宗教法人大観宮」に所有名義を移すことが決議され、その頃右土地建物(すでに大蔵省、熊本県等から差押を受けてはいたが)について寄付を原因に所有権移転登記を受けるに至つた。そこで、現在内村名義に残された不動産は熊本県上益城郡甲佐町の旧自宅と兵庫県加西市中富町所在の山林、原野約一二〇筆程度にすぎない。
三以上のような諸事実からすれば、第一相研及び天下一家の会・第一相研の名称のもとに運営された前記各講は、もともと内村によつて創設されたものであり、その後も内村が事実上主宰してきたものであることが認められる。
すなわち、右認定事実および一件記録によつて検討するに、抗告人は、本件各講を運営する天下一家の会・第一相研が当初の第一相研の頃から、内村個人とは別個独立のいわゆる人格なき社団であつたかのように主張し、また内村はすでに昭和四二年七月、前記福田ビルを買受けるに際し作成した公正証書において、本来買主は「第一相互経済研究所親しき友の会」代表者内村健一とすべきところ、都合による内村健一個人名義とする旨を記載し、当時から右第一相研(親しき友の会)が人格なき社団であるかのように行動していたことが窺われるが、昭和四七年五月に定款が作成され、その後会員総会や理事会といつたものが開催されるようになつてからはともかく、それ以前の第一相研については社団といい得るような実体を全く欠いており、第一相研は内村個人が本件各講を運営するうえでの事業上の名称にすぎなかつたものというべきであり、特に問題とする余地はない。
そこで、昭和四七年五月に別紙(二)の定款を作成し機構を整備して、名称も天下一家の会・第一相研と改めるに至つた後について、以下検討することにする。
1 ところで、人格なき社団の成立については「団体としての組織を備え、多数決の原則が行なわれ、構成員の変更にもかかわらず団体そのものが存続し、しかしてその組織によつて代表の方法、総会の運営、財産の管理その他団体としての主要の点が確定している」(最高裁判所昭和三九年一〇月一五日判決民集一八巻八号一六七一頁)か否かによつて判断される必要があるが、そのためにはまず構成員の範囲ないし資格条件が検討されねばならない。
しかして別紙(三)によれば、定款作成前の本件各講の加入者数は、昭和四六年末現在で「親しき友の会」一六万九五三五名、「相互経済協力会」三八万〇九七五名、「交通安全マイハウス友の会」一六万一六一七名、「中小企業相互経済協力会」七八〇九名、合計七一万九九三六名であつて、一人数口の加入があつてもこれに近い数字の入会者があつたことが認められるところ、定款第七条第一項は「本会の立案育成する相互扶助の組織に加入したものを会員とする」としており、一応は右各講の加入者全員を会員に予定しているものと解される。しかし、同条第三項は「会員となつた者は毎年一回以上同一組織に加入するものとする」とも定めているので、これが会員の資格要件であるとすれば、その資格は加入後一年であつて、その間再度加入しなければ資格を喪失するものとも解され、他方、本件各講の仕組からすれば、一旦会に加入した者はその年限に関係なく、後輩会員から目標額を受領し終るまで会員資格を失わないものとも解される余地がある。しかるに、定款第八条は会員資格の喪失事由として、死亡、退会の申出、除名を掲げるのみで、右の点については必ずしも明らかでない。
そしてもともと、創立総会と目すべき昭和四七年五月二〇日の会員総会について、その点が十分認識されていた形跡はなく、議事録は支部選出会員代表一四〇名中、九四名(委任状提出者を含む)が出席して右総会が開催されたというが、右代表と称する者は、当時かなりの加入者があつた青森、秋田、山形、静岡など数県において加入者の有志が任意的に設置した支部からの任意の参加者であり、その他の参列者は内村らが全国の加入者中から適宜開催を通知して出席を求めた者であつて、会員資格を明確に限定したうえでその会員に総会の開催通知を行ない、その有資格者に代表者の選出を行なわせたような事実もない。
そこで、その後の実際の取扱いでも会員の範囲、資格について一貫したものがなく、ことに右資格喪失の事由とされる死亡、退会の場合、その者の有していた権利関係がどのように処理されるのか一定の基準といつたものがなく、むしろ実際には「名義変更」といつた特異な手続によつて処理されていたふしがあり、右会員の資格をいよいよ不明確なものとしていた。
2 次に、社団はその組織、構造において構成員から離れた独自の目的と組織をもつ単一体であり、そのような意味において構成員の個別意思とは別個独立の団体としての意思が形成され、その団体意思が構成員に対して拘束的なものとして承認される関係にあることが必要で、そのためには最高の意思決定機関である「総会」は必須の機関である。
ところで、天下一家の会・第一相研においても「会員総会」に関する規定が定款第一四条ないし第一八条に存在し、その構成について第一五条は「各支部において選出された会員代表によつて構成する」と規定するが、右支部については、第五条が「事業を行なうため、必要に応じて支部を設ける」とし、第二五条の(2)において支部の設置を理事会の付議事項としたほか、昭和四七年一一月二五日には「支部運営規則」なるものが一応作成されてはいるものの、会員の意思を総会に反映させる基盤としての支部設置を意図した定めはない。
そこで、右定款作成前の昭和四七年五月当時、前記のように一〇か所程度の支部がすでに存在していたが、これらは加入者中の有志によつて任意的に設けられたものであるところ、その後も内村らは必ずしも支部組織を要しないとして、積極的にその設置を促進することもなく、会員らが県単位で任意に設置したものを申出に応じて認可する程度に終始したため、昭和五三年五月に至つても東京都に五か所、その他の道府県一三か所の支部の設置があつたにすぎない(ただ、全国六〇余か所に連絡事務所がある。)。
してみると、定款上会員総会は支部代表によつて構成されることになるのであるから、当時すでに全都道府県にわたつていた会員のうち前記支部の設置のない他の地域の者は、代表を選出する機会あるいは代表となつて表決権を行使する機会を与えられておらず、右会員総会はすでに社団の総会としての実質を備えていないものというべきである。内村は、本部において各県別の会員数を把握しているので、支部のない県でも会員数の多い県には理事会で代表の人数を割り当てており、その県において会員大会を開き代表を選出させているというが、そのような代表の選出は定款に根拠を有しないのみならず、実際上も格別の組織を有しない各県においてどのような方法で会員大会が開催され、代表が選出されたか疑問である。
3 更に社団は前記のように総会において形成された団体意思を対内的、対外的に執行する機関を必要とするが、天下一家の会・第一相研の場合、定款の第一九条以下に会長(一名)、副会長(二名)、理事(一五名以上三〇名以内)、監事(三名)の役員に関する規定を置き、形式的には社団の要件たる代表者の定めがあり、執行機関たる理事及び理事会を有していることになる。
しかしながら、第二〇条は右役員のうち「本会の創始者内村健一」を終身理事の会長として定め、一五名以上三〇名以内の理事も三分の一は右会長の指名とし、会員総会において選任されるのはその余の理事及び監事に限定されている。本来社団の機関はその団体意思を執行すべき役割を負うものであるから、右構成員の多数意思が役員の構成にも反映され、多数意思の変動に応じて役員の交代も行なわれるはずのところ、会長をはじめ理事の三分の一が多数意思に基づく交代を予想していない点には問題がある。
もちろん、わが民法はかかる執行機関の選任方法等につき格別の規定をおいていないから、当該団体の自治に委ねているものと考えられ、右定款が構成員の総意に基づくものであるかぎり、前記のような定めをもつて直ちに違法無効のものということもできないであろう。しかしながら、天下一家の会・第一相研の場合、右定款を承認したとされる昭和四七年五月の会員総会が、加入者全員の代表者を集めたというには程遠い構成であつたことはすでに指摘したとおりであり、定款そのものが会員の総意に基づく規範といえるか疑問であるのみならず、右のような総会において理事の三分の二が出席会員によつて選出されたとしても、これが会長指名の三分の一の理事と共に理事会を構成するとき、これまた構成員の多数意思に基づく執行機関といえるか疑問としなければならない。そして、その後の会員総会においても構成上の問題点は解消されていない。
4 以上のとおりであつて、天下一家の会・第一相研を社団と認めるについては、その構成員の範囲・資格が不明確であり、必須の機関たるべき総会もその実質を備えず、定款そのものの成立の経過をはじめ執行機関の構成等にも種々の問題を含んでいるが、実際の運営面においても、理事の大部分は熊本市もしくはその周辺に居住しておらず、内村の長男で会長指名の理事であり副会長となつた内村文伴、第一相研発足の頃からの職員で、その後会長指名の理事となり同様副会長となつた中谷正次郎ら数名の者が関与する程度で、理事会としての機能を果しておらず、殆ど内村個人の意思に基づいてその義務の運営が行なわれ、ほぼ定期的に開催された理事会、更には会員総会も、形式的にこれを追認するだけの存在にすぎなかつたと認められる。
そして内村は、第一相研の本部事務所として建設された第一相研ビルの一部に建設当初から自己及び長男内村文伴ら家族の居住部分を設け、賃料その他の使用料も支払わず(後記のように宗教法人大観宮の所有名義となつた後も)これを使用してきているほか、天下一家の会・第一相研と実質的には同一体と認められるが一応は独立の法人であるもと財団法人天下一家の会及び宗教法人大観宮を設立し、いずれもその創始者として会長ないし代表役員となり、一手にその権限を集中するとともに、前記のように本件各講の入会金のうちから二五パーセントを寄付名義でこれらに移して、その経営基盤の充実をはかつてきた。更には、天下一家の会・第一相研の基本財産とされていた第一相研ビルをはじめ全国二〇か所の保養所関係施設その他の動産・不動産をも、内村個人名義のままおくことの不都合を理由に、ことごとく宗教法人大観宮に寄付として所有名義を移すに至つた。
かくて、右の1ないし4に掲げたような諸事情を総合して判断するならば、昭和四七年五月に定款を作成し天下一家の会・第一相研の名称を改めた後においても、その組織は未だ人格なき社団としての評価に堪えないものであり、本件各講を主宰する者は依然として内村個人であるとの実質は変らず、右天下一家の会・第一相研は内村が本件各講を運営するに際しての事業上の別称にすぎないものというべきである。
そのような意味において「天下一家の会・第一相互経済研究所こと内村健一)の表示は、右肩書の名称を使用して本件各講を運営する内村健一個人を示すものであり、別個の人格を並記したものということはできない。
なお、熊本国税局は昭和四七年五月定款作成後の「天下一家の会・第一相研」を、内村とは独立した人格なき社団として認め、これに法人税、贈与税の賦課をしていること前記のとおりであるが、それは税法上の取扱いに関し該当行政官庁が独自の調査、資料に基づき示した一つの判断であり、未だ前記認定を左右するものではない。
(矢頭直哉 権藤義臣 小長光馨一)